BMS, Movie, Illustrations, Programming

自分が嫌いになってしまったもの

クソみたいな内容だがまあ自分のブログだし書いてもいいだろう。

自分の嫌いなものを目にするのは良くないと思う。それは分かっている。でも、どうしても目にしたくなってしまう。

「AIで生成した美少女イラスト」がどれほど魅力的なものか、どうしても気になってしまう。恐らく、絵の上手さで言ったら僕の何倍も上手い。それでいて絵の生産スピートは比較にならないほど早い。絶対に勝てない。そんな自明のことを確認するためだけに、AIイラストを探してしまう。目にしてしまう。そしてショックを受ける。自分の絵の下手さを自覚してしまう。自分の惨めさを感じてしまう。そして、AIイラストがどんどん嫌いになってしまう。

自分は趣味で絵を描いている。もしそれが行為として意味を為さなくなるのであれば、早急にやめなければいけない。描くなら描くで、はっきりとその意味を言葉にしておかないといけない。自分の中で折り合いをつけないといけない。いつまでも目を背けているわけにはいかない。だからここに書き残す。テクノロジーと向き合う。現状のAIに対する、自分の立場の表明をする。

まず、絵を描くことが楽しいならそれでいいのではないかという考え方について、まず自分は楽しいから絵を描いているのではない。もちろん絵を描くことも楽しいが、楽しさで言ったら寝ることの方が上だ。あるいはYouTubeを見ることでも良い。じゃあなんのために絵を描いているのか。最初に描き始めた頃は自作のBMSに絵や動画を付けたい、という思いもあったような気がする。ただ、今は、BMSを作ることもなくなって、絵を描くために絵を描くようになった。今、絵を描いている理由は、少し重なる部分もあるが、おおよそ2つある。

1. 絵を見たい人に届けるため
2. 自分が生きている意味を残すため

まず、1つ目について。もしAIのイラストが十分に価値のあるものだったら、僕の下手クソな絵を見たいという人は居なくなるだろう。僕はそうなると思っていた。しかし、実際はそうではなく、冬コミで頒布した本はいつも通りたくさん売れた。また、他の人も人間が描いた同人誌を買っていた。人類の可処分時間がAIイラストの鑑賞に割かれているのだから、売上にマイナスの影響が全く無いということはないだろう。しかし、そういった1割〜2割程度の差があったかどうかということまでは分からないが、冬コミの様子ががらんと変わってしまうということはなかった。AIにおいてシンギュラリティは到達したが、冬コミにはまだ到達していなかったと感じた。DLsiteにおいても、AI作品の割合はかなり増えたが、AI以外の作品もたくさん発表されている。今まで通りに絵を描くということは、今まで通りの需要に応えるということになると確信した。

また、楽しくないならなぜ絵を描くのかという点についても疑問が残るかもしれない。正直、楽しくないことをするくらいなら、何もしない方がマシである。そして、他に何もしないまま辛い仕事だけして生きていくくらいなら今すぐ死んだほうがマシである。でも死にたくはない。死にたくないのであれば、生きている意味を生み出すために、自分にとって価値のある何かをこの世に残さなければならない。ゲームをしたりYouTubeを見たりしてもただ一時の快楽を得るだけで、またすぐに苦しみがやってくる。創作活動を続けなければならない。他人がどのように考えようと自由だし、創作活動をしないのも自由だが、自分はそのように考えると決めたし、それしか死なない理由を見出す方法が見つからなかった。自分が生きている意味を残すために絵を描くのである。これが2つ目の理由だ。

では、自分が生み出すことの出来る、「自分にとって価値のあるもの」とは何だろうか。実際のところ、音楽でも映像作品でもイラストでも良いのだ。たまたま今の自分がイラストを選んでいるというだけのことだ。つまり、自分は美しい、可愛い、自分の能力の範囲で最も価値のあるイラストを描きたいと考えているということである。なら、AIイラストはどうだろうか。これも自分にとっては他と同様に価値のあるものである。あのスピードで、あのクオリティのイラストが生成できるなら十分だと思っていた。だからこそ、その意味で、AIを使うことは、自分の中では良い選択肢のように見えた。これが問題を複雑にさせている理由のひとつである。

しかし問題があった。AIイラストは必ずしもまだ世間に受け入れられてはいないということである。AIイラストを公開して、世間から称賛を得ることができるだろうか。(何も持たざる者が数万フォロワー、数百いいねを得られるなら十分な称賛かもしれないが。)AIイラストを同人誌やタペストリーにして売って、批判を受けないだろうか。少なくとも現時点では全く批判を受けないということはないだろう。AIイラストに対して個々人がどのような立場を取るべきかというのは難しい問題である。しかし、少なくとも、僕はAIでイラストを作ってインターネットで発表することはできない。僕は生きている意味を生み出すために、自分にとって価値のあるAIイラストをこの世に残すことはできない。だから自分の手で描くしかないのだ。

この言い訳を苦し紛れだと感じるならそうかもしれない。でも、やっぱり自分の手で絵を描くことを辞めたくはなかったし、現時点では辞める必要がないという理由が欲しかった。メンタルよわよわのインターネット弱者だと思うならそう思ってくれてもいい。考えの古い老害だと思うならそう思ってくれてもいい。ただ、悩み続けるのではなく、前に進むために、自分の中の立場をはっきりさせておく必要があった。これが今の僕の現時点でのAIイラストに対する立場だ。

これから、NovelAI の登場以後初めてのコミケ申し込み期間が始まるが、果たしてどれほどの人がAIアートで申し込みをするのだろうか。これから少しずつ同人誌の世界をAIイラストが侵食していくのだろうか。自分の考えもそれに伴って変化していくのだろうか。もし僕が生きているうちにAIイラストに対する批判や偏見が無くなったら、僕は絵を描くことをやめるかもしれない。